昭和20年代 当時最新のそば刈り機械

そばの歴史と鹿追そば

中国南部の山岳地帯が起源といわれ朝鮮半島を経て日本へ入る。 時期は縄文時代終わり頃、そば切り(麺状)として広まったのは安土桃山時代になってから。

北海道十勝地方の最初の開拓は、明治16年依田勉三を中心とする「晩成社」で十勝川流域の平坦な場所(現帯広市)に入ったのが始まり。 そこから広がりわが町も遅れること20年、やっと開墾が始まるが山沿いのため気温は低く火山灰性土壌で厳しい環境だった。 蕎麦は冷涼な気候を好み、比較的やせ地にも良く育ち、しかも生育期間が短いなど、開拓者達にとって絶好の作物であった。 わが町は、水はけ良く昼夜の寒暖の差が大きいなど、蕎麦の生育にとっては好条件で、以来美味しい蕎麦の里として定着してきた。

昭和50年秋、鹿追の蕎麦を特産品にしようと、町が50%出資する鹿追町振興公社を設立。生、茹で、乾麺など製品として出荷する。 昭和50年代以降、農業経営も規模拡大や分業化、高収益作物への転換などと変化し、収益性の低い蕎麦は徐々に減り始めた。 作付面積のジリ貧状態が続く中、平成15年からJA鹿追が専用コンバインの導入など支援策を打ち出し、現在回復傾向にある。 平成14年、鹿追そばのブランド化に一定の成果を残しながらも町振興公社は解散。 同年8月、早くから蕎麦の栽培と製粉加工を手がけている農事組合法人西上経営組合に営業を譲渡。そばの生産者が親会社となる(有)鹿追そばに引き継がれた。 その後、平成20年10月、「西上経営組合」より代表取締役小西隆史他社員4名が出資金を全額買収。新たにスタ-トする。